こちらでは、ルーシー・モンゴメリの世界的名作 『赤毛のアン』の「あらすじ」と「読書感想文の例文」をご紹介いたします。

『赤毛のアン』あらすじ



プリンス・エドワード島の小さな村に暮らす兄妹、マリラとマシューは、農場の手伝いになる男の子を孤児院から引き取ることにする。しかし、迎えに行った駅に現れたのは、赤い髪の女の子、アン・シャーリーだった。

最初は戸惑うマリラだが、アンの明るくおしゃべりな性格に惹かれて、彼女を育てることを決める。 アンは、兄妹の家「グリーンゲイブルズ」で新しい生活を始める。同級生のダイアナと仲良くなり、学校でも頑張るが、ギルバートという男の子にからかわれて怒ってしまう。

アンは学校を休み、ダイアナを家に招くが、間違えて酒を出してしまい、ダイアナの母親に怒られる。 アンは落ち込むが、やがて学校に戻り、勉強に励む。ある冬の夜、ダイアナが助けを求めてやってくる。ダイアナの妹が病気になったというのだ。

アンはすぐにダイアナの家に行き、一晩中妹の看病をする。ダイアナの母親はアンに感謝し、謝罪する。アンとダイアナは再び親友になる。 アンは想像力が豊かで、いろいろなトラブルを起こすが、周りの人々から愛されるようになる。マリラもアンを自分の娘のように思うようになる。

アンはギルバートや他の友達と一緒にクイーン学院に入学し、教師になるために勉強する。アンは優秀な成績で奨学金を得て、レッドモンド大学への進学を決める。しかし、マシューが心臓発作で亡くなってしまう。

マリラも目が悪くなり、グリーンゲイブルズを手放すことを考える。 アンは大学進学をあきらめて、近くのカーモディで教師になろうとする。しかし、ギルバートが自分の仕事を譲ってくれると言ってくる。ギルバートはアンが好きだったのだ。アンはギルバートと仲直りし、グリーンゲイブルズで幸せな夜を過ごす。
 

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「赤毛のアン」読書感想文の例文①

「赤毛のアン」を読んで

私が読んだ本は、ルーシー・モンゴメリ作の『赤毛のアン』です。この本を読んで、アンという女の子に心を奪われました。彼女は、孤児として苦労した過去を持ちながらも、個性的で明るくて純真なキャラクターだからです。

アンは十歳のときに、孤児院からマシューとマリラの兄妹に引き取られます。この物語は、そこから始まります。アンは生まれたときから両親がいなくて、親戚の家をたらい回しにされてきました。その辛さは、作中ではあまり語られませんが、想像するだけで涙が出そうです。

でもアンは、そんな悲しい境遇とは裏腹に、とても楽しそうに生きています。アンは空想が大好きで、自分の名前を「コーデリア」と言ったりします。これは嘘ではなくて、現実から逃げるための方法なのだと思います。空想やおしゃべりで、自分を元気づけているのです。

例えば、マシューとマリラが本当は男の子を引き取りたかったと知った時に、「絶望のどん底にいるわ。」と言います。これが普通に言われたら、暗くて悲しいシーンになるでしょう。でもアンが「絶望のどん底」なんて大げさに言うから、笑ってしまいます。これはアンの特徴的な言い回しで、読者を楽しませてくれます。

アンの心の支えは、マシューです。彼は妹のマリラに「あの子はわしらに必要かもしれん。」と言います。これは素晴らしい言葉で、感動しました。

この物語が魅力的なのは、私はアンが10歳という年齢だからだと思います。10歳というと、女の子なら思春期に入るかどうかという時期です。アンはこの年齢にしては幼い部分が多くあります。男の子に石版で頭を叩いたり、友だちにお酒を飲ませたりします。これは子供らしくて可愛らしいですが、3歳や4歳の女の子みたいでもあります。

マシューとマリラはアンにしつけを教えようとしますが、「あの子は教育されてこなかったから変なことをするんだ」という考え方ではないでしょうか。確かにそういう面もあるかもしれませんが、私はアンが幼い行動をするのは、彼女自身の生き方だったのだと思います。もし彼女が普通の女の子だったらどうなっていたか考えてみました。

彼女は、こんなに明るくておしゃべりなのに、どうしてだろうと思いました。過去には、とても辛い思いをしてきたはずなのです。でも、もし彼女が内気で暗い性格だったら、この運命に耐えられなかったかもしれません。だからこそ、彼女は話すことで不安を紛らわせ、楽しいことを想像することで寂しさを忘れるのでしょう。そうやって生きてきたからこそ、マシューとマリラに育てられるようになってからは、落ち着いて勉強に打ち込めるようになったのです。

彼女が心の底から幸せになれるようになったのです。彼女がただの子供っぽい女の子ではなかったことは、こんな出来事からもわかります。ある時、友だちの妹が重い病気にかかりました。アンはそれを知ると、すぐに駆けつけて看病しました。彼女のおかげで、友だちの妹は一命を取り留めました。

これは、アンらしからぬ行動ですが、本当のアンの姿だと思いました。そしてマリラもアンの看病を聞いて感動し、友だちと遊ぶことを許してくれました。アンは「今は完璧に幸せよ。赤毛でも構わないわ。」と言いました。実は、アンは自分の髪の色が大嫌いでした。それが原因で、「完璧な幸せ」にはなれなかったのです。

でもこの看病の後では、髪の色が変わっていなくても、完璧な幸せを感じることができたのです。アンの髪の色は、誰でも持つコンプレックスだと思います。私もニキビや天然パーマなどで悩んでいます。でも、人の役に立つことをすると、コンプレックスを乗り越えて幸せになれるんだと、教えられました。

実は、物語の途中で、アンは髪の毛を緑色に染めてしまうハプニングが起こります。彼女は1週間ほど落ち込みますが、髪を切って気持ちを切り替えます。このエピソードは、コンプレックスを乗り越える象徴だと思います。

『赤毛のアン』から学べることはたくさんありますが、私はこの本のメッセージは、人は何度でも再出発できるということだと思います。アンはつらい人生を送ってきました。でも、マシューとマリラ兄妹に引き取られて、幸せな暮らしを始めます。何度もたらい回しにされましたが、この家で新しい人生を歩み始めたのです。

おそらく、親戚から親戚へと渡されたり、孤児院に行ったりしたときも、再出発しようとしたのでしょう。でも、その度に裏切られたのでしょう。でも彼女は、過去のことは忘れて前向きに生きます。そんなアンだからこそ、幸せを掴めたのだと思います。

私は本が好きで、自分でも物語を書くことがあります。現実逃避しているのかも知れませんが、それでも構わないと思います。大事なのは、明るく生きること、幸せな人生を送ることだと、アンから教わったからです。

「赤毛のアン」読書感想文の例文②

アンへ・・・

アン。実はね、私、最初は本なんて興味なかったのよ。でもこの本を読んでいたら、あっという間に、好きになっちゃったんだ。

アン、実は最初はあまりあなたのことが好きじゃなかったの。時々意図的にやり過ぎるからさ。そのやり過ぎ感が、悲しい心を無理やり見せるから。だけど、読んでるうちに、好きになったよ。私、アンの赤毛で悩む気持ち、わかるんだよ。私もね、生まれつき、唇が変なの。バカにされた時、本当に悔しいんだ。ある男の子が「口裂け女、口裂け女、やーい」と言った時、ドキッとしたわ。そうだね、私は変な唇の持ち主なんだ。

それでね、目の前で、熱いものがこみ上げてきたの。でも、涙は遠ざけて、苦い気持ちを晴らすんだ。そして涙が乾くまで泣いて、先生に慰めてもらったの。でもアンは逆に怒られるなんて、可哀想だよね。

でもアン、先生から教わったことがあるの。そういうことを言う人は、もっと傷ついていて、かわいそうだと思えば大丈夫だって。それに、足が不自由な人や手が不自由な人も、世の中にはたくさんいるんだ。私たちもアンも、そんな人たちに比べたら幸せだよ。

でもね、体が不自由な人たちを表面だけで判断してはいけないんだよ。どんなに辛いことがあっても、頑張って生きている人がいるんだから。健康な人たちの役目は、そんな人たちを労わることかもしれないね。

マシュウは亡くなっちゃったけど、天国から町の先生として頑張って、応援してるから、小さなことにこだわるのはやめようね。心を大きく持とうね。私もアンを応援するから。

アンと私の考え方が違ったり、同じだったりして、色々と考えさせられて本当に勉強になったよ。アン、ありがとう。あなたは私の恩人だよ。 

「赤毛のアン」読書感想文の例文③

赤毛のアンから学んだこと

この夏休みは、私にとって小学生最後のものだった。じっくりと読み込める本を探し、これまでの自分を振り返り、中学生になる新しい自分を見つけ出せるような一冊を求めていた。そんな想いを母に伝えると、彼女は私に一冊の本を手渡した。それは母も6年生のときに読んだ「赤毛のアン」という本だった。

文章を順に読み進め、私はアンの世界を心に描いていった。彼女は周りのありふれた風景や出来事を、素晴らしいものへと変える力を持っていた。どんな困難な状況でも、想像力を使って乗り越えるアンに憧れを感じた。私もそんな力が欲しいと思いながら、次第にアンの独特な世界に引き込まれていった。

アンの周りには、家族や友人、そして美しい自然があった。すべてが彼女を優しく包み込み、愛されていることが伝わってきた。

やがて、私もアンになりきった気分で自分の周りを見直してみた。毎日のバス通学。プリンスエドワード島ほど素晴らしい景色ではないけれど、私にとって大切な街並み。四季折々の変化が楽しめる。学校の窓から見える空も、楽しく感じられた。それだけでなく、私の周りの人々に対しても同じだ。アンにはマシューやマリラがいたように、私にも両親がいる。単身赴任中の父と一緒に町を歩いてみたり、同じ空気を吸いながら父の強さを感じた。働く母の姿を見て、自分の将来の夢を見つけることができたように思う。そして、母を支える祖母。夏休みに家庭科で学んだ家族の生活時間を見直すことで、祖母の大変な家事がよく理解できるようになった。アンを支え、愛情を持って見守る周囲の人々が、彼女を心優しく感性豊かな人に育てたのだと感じられた。

アンが言った「わたしは自分以外の人になりたくない。」という言葉に、私は心を奪われた。そして、(そうだ、私は私でしかないのだ。だからこそ自分を大切にしていきたい。)そう強く感じた。アンの自分を信じる言葉に、私は深く感銘を受けた。自分の心の持ちよう次第で、辛いことや悲しいことも楽しいことや嬉しいことに変えることができるのだ。明るい心を持ち、前向きに進めば、道は開けていくということを、この本から学んだ。そして、何だかちょっと大人になった気分になった。本の向こうでアンが私に、「神は天にあり、この世はすべてよし。」とそっと微笑んで囁いているようだった。

「赤毛のアン」読書感想文の例文④

努力することの大切さ

「一生懸命勉強してとれるものなら、あの奨学金、絶対にとってやるわ。」アンは心に決めた。アンはどうしてもこの奨学金を手に入れたいと思っていた。

奨学金は英語学と英文学で最高の成績を収めた人に与えられ、年に250ドルを4年間受け取ることができます。アンはこの大きな夢に興奮しました。英文学が彼女の進むべき道であり、この夢を追求することが彼女を鼓舞しました。アンの強い意志に感銘を受けました。

アンは「一つの目標を達成すると、新たな目標が現れる。それが人生の魅力だ」と語りました。この言葉に共感しました。新たな目標が現れるたびに、私たちは一生懸命努力し、成長するのです。アンの考えと私の考えが重なりました。

しかし、アンは試験の日が迫るにつれて、大きなプレッシャーを感じていました。友人のジョシー・パイがエミリー・クレーが奨学金を獲得するだろうと言ったとき、アンは悲しみと苦悩に包まれたことでしょう。しかし、アンは夢を諦めずに努力し続けました。

試験が終わり、アンが奨学金を獲得したときの彼女の喜びは計り知れません。自分の限界まで努力して望みを実現させる喜びは、一生の宝物です。私も同様の経験があり、アンの物語を通じて努力の重要性を再認識しました。

現在、私の夢は日本語教師になり、世界中の人々に日本の文化を伝えることです。この夢を実現させるために、アンのように諦めずに努力し続けたいと思います。アンとの出会いが私に新たな一歩を踏み出させてくれたように感じます。

アンの物語から学んだ大切な教訓は、努力と夢への情熱が何事も乗り越えられる力を持っているということです。アンは自分の夢に向かって情熱的に努力し、最終的に奨学金を手に入れました。私もアンのように、日本語教師としての夢に向かって精一杯努力し、新たな目標を設定し続けることを心に刻みました。

また、アンの言葉から、人生は目標を達成し、次なる目標に向かって進む連続だということを学びました。私たちは常に成長し、新たな目標を持つことで、人生が豊かになり、充実感を感じることができます。アンの物語は、夢を持ち、努力し、成長することの素晴らしさを示しています。

最後に、アンのように諦めずに夢を追求し、努力し続けることが重要だと改めて感じました。アンの勇気と情熱は私に勇気を与え、自分の夢に向かって進む意志を強化しました。アンの物語は、希望と努力の力を信じることの大切さを教えてくれました。