伝記「マザー・テレサ」の読書感想文の例文をご紹介いたします。小学生から中学生が読書感想文を書く際の参考にしていただければと思います。


マザー・テレサはこんな人【動画で解説】

伝記ですので「あらすじ」に変えて、マザー・テレサの人生を動画で学んでみましょう。


自分の好きな「マザー・テレサの名言」を感想文の中で紹介してみるのもよいでしょう。

伝記「マザー・テレサ」の読書感想文の例文

「マザー・テレサ」を読んで

僕は、この本を読み「人として生きるとはどういうことか」と考えた。また「孤独」。それは、人間にとって最もつらいことではないかとも考えさせられた。

本書の中で、マザー・テレサは、「人間が一番つらいことはだれにも相手にされないまま、死んでいくこと。」だと言っている。僕は、まさにそのとおりだなと思った。人間は、だれからも相手にされないとさびしくなる。

「カルカッタには、今なお路上に寝てくらしている人が四十万人もいるといわれている。地球上では、四万人以上の子どもたちが毎日栄養不良などの病気で死んでいく。このようなところが今、現実にある。彼女は、そんな人達のために働いてつくしている。

僕は今まで何かやってきただろうか。と考えると彼女のしていることは、大変すごいことだと実感する。僕は、マザー・テレサはノーベル平和賞を受賞したということしか知らなかったのでこの本を読んでいるうちに、とても感動してきた。

彼女は、十二さいの時に二度と家に戻ってこれないかもしれないのに「将来は修道女になり、インドのまずしい人々のためにつくそう。」と大きな決断をした。

病気や飢えで苦しむ人たちのために、いろいろな施設をつくり、みんなから親われていた。「死を待っ人の家」「休憩の家」「平和の家」などいろいろな物を創り上げてきた。このおかげでさみしく、だれにも相手にされずに生きてきた人たちもそこで少しずつ働くようになっさる待た。

「僕は、マザー・テレサが貧しい人々の手をやさしく取り話しかけている写真を見た時、マザー・テレサも、彼女に話しかけている人も、本当に幸せそうに話しているように見えた。マザー・テレサは、貧しい人々とかわらない食生活を送っていたと書いてあった。

僕は、本当にそれで満足しているのだろうか、もっと、裕福な生活を送りたかったのではないか?と思った。しかし、マザー・テレサはそんなことは気にもせずに貧しい人々の気持ちを深く分かってあげているように見え、辛いことにも耐えて修道女として働いている。僕は、どうしてそんなにも苦しい生活に耐えていけたのだろうかと思った。

それは彼女が、人間はお金や名誉で地位を決めるのではなく、この世に生きていることに、価値があるということをよく理解しているからではないか、と思う。このことをよく、深く知っていたからこそ、人々に尽くしてこれたのだと思う。

人間誰でも、高い地位やお金が欲しくなるだろう。だからといって人を差別したりするのはひどすぎると思う。この頃、インドは人種差別がひどかった。にもかかわらずマザー・テレサはまずしい人々のために全力をつくしていた。

もしかしたら、この頃は周りの人からなにかひどく悪いことを言われたかもしれない。しかし、そういうことに負けずに神を信じ多くの人の命をたすけ「生きる喜び」というのをたくさんの貧しい人々に伝えた。

僕は、なぜ人種差別があるのかわからない。ただ肌の色がちがうだけで別に他はいっしょの人間なのだからなにも変わらないだろうと思う。

日本は、人種差別はないが差別でいじめというものがたくさんある。いじめを受け、学校に登校しなくなった人はたくさんいる。このような時に、マザー・テレサのような心をもった人がたくさんいたらと思う。彼女のような行動をたくさんの人々がすれば世界は大きく変わっていくに違いない。

マザー・テレサは一九八一年にノーベル平和賞を受賞し、メダル、賞金を受けとる時も、いつもと変わらないサリーという服をきて受取っていた。マザー・テレサは、「この賞は自分が受賞するものではない。でも、まずしい者の中で、もっとまずしい人への名誉として、受けとります。世界中のまずしい人々に代わっていただきます。」と言っている。

自分には、平和賞をもらう資格がないと言っている。僕は、誰が見てもまずしい人々のために尽くしているのだから貰うものではないかと思った。でも、マザー・テレサはそれを否定している。よく考えると、僕達でも貧しい人々に尽くせるのではないかと思った。

僕達にできることは、何かないだろうか。少し前までの僕には、募金やボランティアに参加するような発想しか出なかったのだが、最近は現実的な考えがでるようになった。

その一つは、発展途上国向けの投資などの知識を増やすことだと思う。募金やボランティアでは大きな成果は出にくいと考えたからだ。本当に貧困国が救われるためには、その国自体が自力で発展できるような支援が大切だと考えるようになったためだ。

また僕は本書を読み、自分の周りの人達を大切に思っていきたい。家族・友人などの人達に「思いやり」という言葉・行動・気持ちを持って接していきたいと思う。

僕もマザー・テレサが言うように「生きる喜び」を忘れずに人にも伝えて行きたいと思う。そして、自分の夢に対して、苦しくてもあきらめずに挑戦できる自分に成長したいと思う。(1999 文字)

伝記「マザー・テレサ」の読書感想文の例文②

「マザー・テレサ」から学んだこと

マザー・テレサ。もしかしたら、この人は、神の使いではないだろうか、と読み終わって思った。いや、まちがいなく「神の使い」だ。

目だけがぎょろぎょろしている人、うでや足が骨と皮だけの人、まだ小さいのに、しわだらけになっている子供達の写真を見て、私は、マザー達は、よくこういう人達と接していられるなあ。と思った。

ときには、アリやネズミにかまれて血が全身にこびりついている人やウジ虫が全身にびっしりわいている人が運ばれてくるという。私は、びっくりした。しかし、マザーは言う、「プア・イズ・ビューティフル。貧しい人はすばらしい。」と。このマザーが言った言葉の意味が全然分からなかった。分からないどころか、貧しい人のどこがすばらしいのだろうか。と思った。でも私の思っていたことのほうが間違いだった。

マザーがある家へわずかな米を持って行った。すると、半分をとなりへ持っていくという。となりの人は、何日も何も食べてないからだ、自分も貧しいのに、もっと貧しい人のことを思ってゆずり合う人々。何てすばらしいんだろう。日本では、まず何日も食べられないなんて家庭はない。でも、ゆずり合う、助け合うということが少ないと思う。

自分さえよければ他人はどうでもよいという人が多いと思う。日本は、豊かな国だ。しかし、マザーのいたカルカッタにある「ゆずり合い、助け合う」ということが欠けている。心は、貧しいのだ。どんなに貧しくても苦しくても、自分より苦しく貧しい人のことを思う心を持っている人々。この心を知って私は自分が恥ずかしくなった。

「プア・イズ・ビューティフル。」マザーのいう通りだ。マザーは、貧しい人達の苦しみ、心の優しさを少しでも分かってほしいのだ。一番分かってほしいのは、「愛の心」だと思う。マザーはいう。「世話するだけでなく、あなたの心をあたえなさい。」と。

私達は、どうだろうか。私は、好き嫌いはするし、少しのことで腹を立てる。クラスでも弱いものいじめがあったりする。アフリカやインドの飢えて死んでいく人のことも初めは、先生から聞いただけだ。でもこの本や、「アフリカ・飢えと戦う子供たち。」というテレビ番組をみて、本当に病気や貧しさに苦しんでいることが分かった。

私は、今まで自分がしていたぜいたくやわがままが、とてもはずかしいと思った。自分に出来ることはないだろうかと考えた。クラスの中や町の困っている人を助けたりすること。これなら私にもできる、でも今までは思っていても、なかなか実行できなかった。だからクラスの中でいじめられている人や身体障害者の人が困っているときなど進んで助けようと思う。

それには、その人の気持ちやどんなに困っているか、どんなに不自由か考えることが大切だと思った。このような努力をして、マザーに近づけるようになりたい。(1158文字)