今回は、小川洋子の代表作「博士の愛した数式」のあらすじの紹介と、本書に対する読書感想文の紹介です。





この作品は、記憶障害を持つ人物を主人公にしているため、多くの人が関心をもって読める内容です。

感想文の対象としては、中学生から、高校生社会人まで、幅広く活用いただけます。

「博士の愛した数式」のあらすじと動画解説

YouTube動画の中から優秀な動画2つをご紹介いたします。8分程度で簡単にあらすじが分かります。





家政婦紹介組合から「私」が派遣された先は、80分しか記憶が持たない元数学者「博士」の家だった。こよなく数学を愛し、他に全く興味を示さない博士に、「私」は少なからず困惑する。ある日、「私」に10歳の息子がいることを知った博士は、幼い子供が独りぼっちで母親の帰りを待っていることを居たたまれなく思い、次の日からは息子を連れてくるようにと言う。次の日連れてきた「私」の息子の頭を撫でながら、博士は彼を「ルート」と名付け、その日から3人の日々は温かさに満ちたものに変わってゆく。さまざまなトラブルを乗り越えながら月日がたつうちに、博士の記憶時間は短くなり始めてしまい、ついに施設に入れられることになる。「私」とルートはその施設に通い続けるが、ルートが22歳のときに博士が死ぬことでこの話は終わる。Wikipediaより

「博士の愛した数式」読書感想文の例文

以下の例文を参考に、原稿用紙3枚・4枚・5枚、800字・1200字・2000字以内など、指定された文字数にアレンジしてください。


読書感想文①

この物語は、ある数学者である中年の男性、彼の家政婦、そして彼女の息子であるルートとの間の関係を描いている。博士は交通事故により、記憶が80分しか持続しなくなる。その症状のため家政婦の「私」は常に新人として扱われる。息子のルートも加わり、数学を通じてストーリーが展開されていくという内容だ。

本書を読み、僕は、80分しか記憶が持たない状態を想像してみた。すべてが新鮮で、自分が白紙の世界に置き去りにされるような感覚に襲われた。それは恐ろしいことだ。僕ならば耐えられないだろう。だが、博士には数学がある。彼にとって、数学は家政婦と息子とのつながりを築く手段であり、生きる目的であり、友人でもある。博士は数学のおかげで生きることができるのだ。数学によって導かれ、彼らの日常は温かく愛に満ちたものへと変わっていく。

博士の記憶は80分しか持たない。新しいことも楽しい思い出も記録されない。何と悲しい話だろう。最初はそう感じた。しかし、物語の最後には、悲しみよりも愛が勝っていると思えた。積み重ねられる思い出も大切だが、80分という刹那に目にするもの、耳にするものを、その場で最大限に感じることがもっと大切だと感じさせる内容であったからだ。

博士は数学者という設定だったが、著者はなぜ博士を数学者という設定にしたのだろうか。読了後、ふっとそのような問いが頭に浮かんだ。数学にはただひとつの答えが存在する。その答えに辿り着けたら、心が晴れやかになるだろう。しかし、答えにたどり着けずにいると、暗闇のジャングルに置き去りにされたような不安に襲われるはずだ。「どうすれば答えにたどり着けるか、どうして分からないのか・・・」そのような思いにかられ、自分に対して怒りさえ覚えることもあるだろう。

そういう日常をおくるはずの数学者が、与えられた僅か80分の枠の中で生きるという設定なのだと。そのように考え、改めて本書を読み返すと次の言葉が心に響いた。

「分からないことは恥ずかしいことではなく、新たな真理への道しるべだ。」

僕の心は軽くなった。分からなくてもいいのだと。なぜなら、これまでの僕は間違いに対して恥を感じていたからだ。例えば、何かの授業で指名されて発表するとき、心臓がドキドキして非常に緊張する。間違えたらどうしようと焦る。しかし、その一文のために、間違えることに意義があることに気づけたのだ。間違えた過程から新しいことを学び、それにより答えにたどり着くことができるのだと。

僕は、ある授業中、解答が出せずに苦しんでいたとき、先生に「迷走しているぞ」と言われたことがある。その時は、答えられない自分を恥じた。しかし、先生は僕に迷走の理由を見つけ、見直し、解き直す大切さを伝えたかったのだろうと今なら思える。今の僕ならそう理解できるのだ。

すぐに解答を見るより、苦し紛れに考えて奇抜な間違いを犯したほうが自分にとって有益だ。自分で考えることが大切だと思えるようになったからだ。これからは、間違いを恐れず、様々な問題に挑戦しようと思う。

もちろんそれは学業に限ったことではない、人生全般における「生き方」としてのスタンスである。つまり、本書を読み、生活の中で何か間違いを犯しても、それは問題を解く手掛かりになる、あるいは今後のための「課題の発見」という捉え方ができるようになったのだ。
 

読書感想文②

「博士の愛した数式」を読んで

記憶について考えると、時間が経つほど記憶の色は薄れるが、昨日訪れた場所や今朝食べたものの記憶は頭に残るだろう。それらの記憶が積み重なって、今の自分が形作られる。しかし、突然記憶が途切れてしまったら、どのように感じるだろうか。

博士は才能ある数学者で、数学をこよなく愛していた。しかし、交通事故によって脳にダメージを受け、80分前のことしか覚えられなくなってしまった。そのような状況で、博士はどのように感じていたのだろうか。

博士の不幸を感じさせる状況だが、彼が不幸だとは思えない。数学に没頭し、快く忘れていく記憶の中で、家政婦の「私」と息子の「ルート」との関係が彼に幸せをもたらす要因だった。その優しさが周囲の人々にも影響を与え、博士の存在が人々の心を惹きつける力があった。

博士は数学の目的は真実を見つけることだと言っていた。数学には人々の欲には目もくれず、真実を見つけるために手を差し伸べる美しさがある。その美しさを感じた時、博士と同じく数学が愛おしく思えた。

物語の冒頭で、記憶とは何かと問うたが、この物語を読んで一つ気づいたことがある。博士にとって、記憶よりも「真実」が大切だった。博士は80分以上のことは覚えられないが、私とルートと過ごした日々があったという真実に満足していたのではないだろうか。真実があるだけで素晴らしいこと、それが博士が教えてくれたことだ。

人々は、記憶が短い博士を哀れに思うかもしれない。だが、博士自身は新しい家政婦とその子供と過ごすのを楽しみにしていた。記憶は消えてしまっても、過ごした日々の事実があるだけで、彼は満足していたのかもしれない。

博士は数学のように真実を愛し、事実を受け入れて私とルートとの時間を楽しんでいた。真実があること自体が素晴らしいと、博士は教えてくれた。

そんな博士の姿を見て、私も記憶とは何かという問いに答えが見つかった気がする。博士にとって大切なのは、思い出や経験の「記憶」ではなく、それらが存在したという「真実」だったのだ。

博士は80分以上のことは覚えられないけれど、私たちと過ごした日々は消えない事実として残っている。多くの人が博士の現状を悲しく思うかもしれないが、博士は毎日、新しい家政婦や子供との時間を楽しみにしていた。

確かに記憶は失われてしまったが、その事実が博士自身にも悲しみをもたらすことはあったろう。けれども、一緒に過ごした日々があったという事実だけで、彼は満足していたのではないだろうか。

真実を愛する数学者である博士は、事実を大切にして私たちとの日々を楽しむことができた。真実があるだけで素晴らしいということを、博士は私に教えてくれたのだ。

この物語を通じて、私たちは記憶と真実の価値について考える機会を得た。記憶が失われても、真実があること自体が大切であることを、博士は教えてくれた。それが、私たちにとって最も大切な教訓だったのかもしれない。

読書感想文③

「博士の愛した数式」を読んで

もしも、記憶が80分しか持続しなかったとしたら、私だったら毎朝自分の病気を受け入れ、何もかも忘れてしまうと気落ちして心を閉ざすでしょう。それは幸せではないでしょう。だけど、事故後の後遺症で記憶が80分しか続かない博士は、他の誰よりも幸せな人生を送っていたと感じます。

博士の世界には、すべてが常に新鮮でした。新鮮だからこそ、博士は素直な気持ちで物事を受け入れていたと思います。博士と「私」、ルートとの三人の日常が暖かく、喜びに満ちていたのは、博士の素直で純粋な愛情があったからです。

博士が心から愛情を注いだものの一つに、「私」の息子であるルートがいました。博士はルートに教育を施し、どんな些細な成果でも称えるのに疲れを感じませんでした。彼が正解にたどり着くと、一緒に喜んでいました。そして、ルートが傷ついたとき、博士は自分のことのように悲しみ、涙を流しました。博士の真摯な愛情を見て、私は心が温まりました。ルートも同じように感じたことでしょう。愛するものに寄り添い、慈しみを持って接することは、自分も幸せにし、愛されるものも幸せにします。

また、博士は静けさを愛していました。それは音のない静寂ではなく、物があるべき場所にある安定感に満ちた状態を指していました。何かを手に入れて喜びを感じても、そのものが失われると喜びも消えてしまいます。博士が「静かだ」とつぶやくとき、彼は変わらぬ日常に幸せを感じ、それが永遠に続くことを願っていたのでしょう。

博士は病気であり、一般的には哀れな存在とされるかもしれませんが、実際には幸せな人でした。ルートを愛し、日常を愛し、数学を愛していました。人は、物や願望が満たされたとき、幸せを感じるでしょう。しかし、真の幸せは、自分の現状をどれだけ幸せだと感じられるかにあると思います。日常にある喜びを見つけ、大切なものを愛し、愛されることで心の充実を感じることが大切です。その豊かな心が、人生を幸せにするのです。

これから先、私も長い人生を生きていく。その中で構築される自分は、これからの日々やさまざまな人や物との出会いによって形作られるでしょう。私は、そのすべてを素直に受け入れ、周りにある喜びを見つけていきたいと思います。そして、愛せる人になりたいと願っています。自分の人生を豊かにするために。
 

読書感想文④

「博士の愛した数式」を読んで

物語は、家政婦である主人公「私」が数学博士の家に派遣されるところから始まる。だが、博士は病気のせいで、記憶が80分しか持たない。そのため、「私」と博士がどれだけ親密な関係になろうとも、博士にとって「私」はいつも新しい家政婦だ。

自分が「私」の立場だとしたら、毎日相手が初対面のように接することになると考えてみた。その相手と一緒に楽しい時間を過ごしたり、ケンカして仲直りして関係が深まることもあるだろう。しかし、次の日にはすべて忘れられてしまい、また最初からやり直すことを想像すると、悲しくてたまらない気持ちになる。

毎日接することで相手の本質が見えてくるが、相手にとっては初対面のままなのだ。物語の途中で、家政婦の息子であるルートが登場する。彼は10歳だ。ちなみにルートという名前は、彼の頭がルート記号のように平らなため、博士がつけたあだ名である。博士は子どもが大好きで、この本では博士の子どもへの思いに感動させられる。

博士はいつもルートを守ろうとし、自分がどんな困難な状況にあっても、ルートが助けを必要としていると考える。そして、その助けを与えることが最大の喜びとなる。博士の気持ちは行動に現れなくても、ルートは感じ取り、博士からの支援を大切に受け入れ、成長していく。

例えば、博士とルートは阪神タイガースのファンという共通の趣味があるが、博士の記憶は昔のままで、ルートは博士が知っている選手の名前を知ることはできない。それでも、10歳のルートは博士に合わせて楽しく話すのだ。その様子は心温まるものであり、ルートの優しさと思いやりに感動した。

ルートはまだ10歳ながらも、非常に優しくて思いやりがあり、私は彼に敬意を感じた。物語の最後は、ルートが数学教員の資格を取得するシーンで終わる。その感動的なフィナーレは印象的だった。

博士の記憶が80分しか持たないという障壁を超え、人間関係の尊さが描かれたこの物語は、読者に多くの感動を与える。『博士の愛した数式』は、博士と「私」、そしてルートとの関係を通して、記憶の壁を越えた愛と絆の物語を描いている。

この物語を通じて、私たちは人間関係の尊さと、お互いを思いやる心の大切さを学ぶことができる。また、博士やルートの成長を通して、困難に立ち向かい、助け合うことの重要性を痛感させられる。

私は、この本を読んで、人と人とのつながりがどれほど大切で、強い絆がどのように築かれるかを実感した。また、博士の状況を通して、互いに支え合い、理解し合うことがいかに重要であるかを感じさせられた。

最後に、この物語は、博士の記憶が80分しか続かないという制約にもかかわらず、人と人との関わりの尊さを伝えてくれる。それは、私たちがどんな困難な状況に直面しても、愛と絆を大切にすることで乗り越えられるという、力強いメッセージを伝えている。