今回は、マーガレット・ミッチェルの「風と共にさりぬ」の読書感想文になります。DVDを見たので本の方も読みたくなり、読んでみると本ならではの重みも感じることができました。。


「風と共に去りぬ」の読書感想文

「風と共に去りぬ」を読んで

風と共に去ったのは何だろう。読み終わってまず考えたことだ。アシュレへのスカーレツトの愛か?スカーレツトヘのアシュレやレツトの愛か?それともメラニーの死を意味するのか?いろいろ考えたがどれもピンとこない。私はもう一度読み返してみて、やっとヒントになる言葉を探すことができた。

「彼らの閑暇に恵まれた悠長な世界はひっくり返ってしまった。……彼らを吹きまくる強大な力に対しては何の役にもたたなかった。」それでようやくわかった。「風」というのは南部に大悲劇をもたらしたあの戦争をさし、その強大な風と共に去ったのは南部人の好む悠長で貴族的な世界だということが。

今まで私は南北戦争については、奴隷解放問題でアメリカの南北の争い、結局北部が勝ったということしか知らなかったのだが、戦争り原因はそれだけでなく、生活様式の全く異なった南北の経済的利害も、大きな原因の一つだったということを知った。

また奴隷問題にしても建国以来の人道主義的伝統から北部は奴隷使役に反対したが、それが南部人以上に黒人を理解し愛した証拠かといえば決してそんなことはなかったのだ。今でも黒人問題は根強く残っている。

「理解し愛す」ことのまだできていないということ、何かとても恥ずかしい。戦争をするのは、レットはお金のためというし、スカーレットは土のためというし、若者達は、南部そのものを守るためだという、それが私達の場合、何に置き換えるかは様々だが、一部の人を除いて戦争は決してなれいでも神堅でもないということ。

どんな目的も口火を切った瞬間に失われてしまうということを忘れてはならない。私達はとかく戦争をロマンチックに考え易いが、そう考えることがどんなに危険かを悟らねばならないと思う。そしてまた戦争によっておこる最も苦しいものは再建時代だということも。スカーレットの生きたのはまさしくその再建時代だったのである。

当時の文明社会は自然のままの人間をとても低く評価した。そして自分達の不文律のどんな小さなことでも破るものは容赦しなかった。しかし彼女はそれらのことをやってのけた。人々は彼女を僧んだ。彼女の他の美点にはかたくなに目をつむり、ただ結果だけを見つめて。

「彼女には人生を無視することができなかった。仮に彼女が荒々しい人生を微笑でごまかして行こうとしても人生の方で彼女を容赦しなかった。」――この一節が胸をうつ。神様はたぜ彼女にこんなに悪意をもつのだろう。神様が彼女にしたことは、体の頑丈な者を飢えたライオンのおりに投げこむのと同じだ。

攻撃をうけても防ぐことができず、といって頑丈な体は一度や二度うたれたぐらいでは死なない。血まみれになり苦しみ苦しみ、それでも体のつづく限り生きていかねばならない――。私には彼女を僧むことができない。勇敢で正直で運命に従順でしかしよりよく運命を開拓する彼女が私が好きだ。

けれども人々は彼女が子供と同じに自分に正直であるということ、いかに彼女が愛する者に対しては優しく美くしかったかということを一切理解せず、彼女を容赦しなかった――。それでも彼女はへこたれない。メラニーの死を迎え、真実の愛を知ったときにはすでに遅く、再び悲しみのどん底へつき落とされるがしかし、やっぱり屈しない。彼女は自分を生んだ暖かい手の中に、またもどっていくのである。

私はふっと考えた。彼女がもし、もっと弱くて過去を思い出しては泣いて。男に頼って生きるような女だったらどうなったろうと。そのほうが幸せになれたのではないだろうかと。でもその考えはすぐすてた。

確かにそうすれば人から憎まれないで平穏に口がすぎていりたろう。しかし彼女に注がれた三つの素晴らしい愛は――たとえ冷めたとはいえ――尊敬以上にはならなかったということ。そしてその愛がなければ他に何があろうと彼女は幸せにはなれなかったということ。それにもう一つ、そんな女だったら、私は決して彼女にはひきつけられなかったということに気付いたからだ。

愛といえば、あの素晴らしい恋愛の結末を読んで、一体あれの役割は何だったろうと考えてみた。三つあると思う。一つ、スカーレツトの強さを導く。二つ、典型的な四人の生き方を浮き彫りにする。三つ、スカーレツトの美しい女らしい一面を出す。

何にせよ、私は様々な人の生き方を学ぴとることができた。そしていかに平和が大切かということも。