「風と共に去りぬ」あらすじ【動画つき】
以下の動画は「ネタバレ」ですので、結末などを知りたくない方はご注意ください。動画が見れる状態で 同時に内容を活字で確認できるように「スクロールできるテキスト原稿」を動画の下に掲載しています。 👍goo!
風と共に去りぬは1860年代アメリカの南北戦争時代を背景にしたフィクションの小説です。
南部アメリカの上流貴族の長女として生まれた、スカーレット・オハラが主人公で、17歳で出会った、レッドバトラーとの恋愛の様子が描かれています。
けれど、決して恋愛小説の枠に収まらず、戦争によって、一つの文化が急速に滅んでいく様子と、その悲劇が綿密に描かれています。
南北戦争は、50万人近くの戦死者を出し、アメリカ建国以来、最大の危機と言われた戦争です。
圧倒的な軍事力や、兵士の数の差だったにも関わらず、リンカーンの北軍は序盤から苦戦続きでした。
南部をアメリカ合衆国に組み込むという、曖昧な北軍の目標に比べ、迫り来る北部から、南部の文化を守るという、南郡の郷土愛はとても強く、戦争の指揮もとても高かったからです。
工業化が進む北部に比べて、綿花のプランテーションを産業の中心にしていた南部は、ヨーロッパとの自由貿易を勝ち取り、アメリカ合衆国から独立して建国したいという理想を掲げていました。
1860年に大統領に就任したリンカーンは、南北戦争当時は「奴隷解放」を謳っておらず、1862年に、初めて奴隷解放宣言を出し、大義名分とし始めました。
そのおかげで、南方はイギリスやフランスからの支援を受けられなくなって行き、戦局は北部に有利となっていたのです。
「風と共に去りぬ」を読んでいると、こうした戦争の綿密な情報が、しっかりと頭に入って来て、歴史的に勝者で、正義であると信じていたものの「裏側」を知ることができます。
では、1巻から5巻までの「風と共に去りぬ」のあらすじを簡単に紹介しますが、アフリカ系アメリカ人のことを「黒人」と、原作の通りに表現することを予めご了承ください。
ジョージア一の美女と謳われるスカーレット・オハラは、南部の上流階級、オハラ家の長女でした。
ダンスパーティーで、片思いのアシュレーに告白するも振られます。その一部始終を見ていたレッドバトラーは、その時から、正直なスカーレットを愛するようになりました。
アシュレーは、メラニーという女性と結婚してしまい、やけになったスカーレットは好きでもない人と結婚します。
その後、南北戦争が始まり、スカーレットはあっという間に未亡人になります。愛していなかった夫の死には動じないスカーレットですが、戦争によってダンスや贅沢ができなくなったことを何よりも嘆きます。
そんなスカーレットを、南部の風習に逆らってダンスパーティーに引っ張り出し、喜ばせようとするレッドバトラーでした。
二巻
スカーレットの住む南部の軍隊は、北軍に負け始めます。アトランタにも大勢の北部んが攻めてきて、スカーレットはレットバトラーの助けで、なんとか実家のタラに帰ります。
死に物狂いでタラに帰ったスカーレットを待っていたのは、母の死の知らせと、気が狂った父親でした。
メラニーと赤ん坊と、スカーレットの子供と、二人の妹たち、四人の黒人と、気の狂った父の世話は、長女であるスカーレットの肩にかかってきました。
三巻
南部は南北戦争に負け、敗戦後に帰ってきたアシュレイたちとともに、実家のタラを立て直そうとします。
しかし、敗戦国として、財産は根こそぎ取られ、貧困と略奪、暴行と飢饉が襲いかかり、かつて「南部の華」ともてはやされたスカーレット・オハラは、見る影もなく、農作業に疲れ果てていました。
税金を払えず、実家のタラを取り上げられそうになり、スカーレットは仕方なく誇りを捨てて、情婦になることを決意します。
四巻
しかし、頼みのレッドバトラーは、北軍の捕虜になっており、お金の工面をしなければならないスカーレットは、フランクという男性と望まぬ結婚をしました。
2番目の夫のフランクの商売を手伝い始めたスカーレットは、みるみるうちに商売の才能を発揮しますが、南部の女性にあるまじき、でしゃばった行為として、街の人から爪弾きにされ始めます。
街中では、解放された黒人たちが、南部の女性を陵辱する事件が相次いでいましたが、止めに入った南部の男性は処刑され、解放黒人は罪に問われないという理不尽な処罰がされていました。
そこで、南部の紳士たちは、クラン団を結成し、婦人に暴行をした黒人を闇討ちにし始めたのです。しかし、ある時、黒人に襲われたスカーレットの報復に出かけた夫のフランクは、返り討ちにあい、死んでしまいます。(北部警察からの返り討ちです)
五巻
かねてから、スカーレットに想いを寄せていたレッドバトラーは、スカーレットに求婚し、二人は結婚します。
しかし、少女の頃からアシュレーに恋をしていたスカーレットの気持ちは変わらず。レッドとの夫婦仲は冷めて行きます。
山師であるレッドと結婚したことで、南部でのスカーレットの評判は地に落ち、たった一人の親友だったメラニーも、体を壊してこの世を去ります。
南部の貴婦人そのものであったメラニーの死によって、古き良き南部の文化の消滅を感じたスカーレットは、絶望の末、本当に自分 を愛し支え続けてくれたのは、アシュレーではなく、レッドバトラーであったと気がつきます。
しかし、レッドの愛は冷め、スカーレットの元を去ってしまいました。
「風と共に去りぬ」を通して、スカーレットはアシュレーを思い続けました。同時に、アシュレイを思い続けるスカーレットを、横からずっと思い続けていたのは、レッドバトラーです。
最初から最後まで、この三角関係がずっと付きまといますが、恋愛色が薄く、歴史的読み物として知られているのは、南北戦争という大きな時代背景に彩られているからでしょう。
2 スカーレットとレットバトラーの商売の才能
また大きな見所の一つとして、スカーレットとレットバトラーの商売の才能が挙げられます。
レッドバトラーは、船を何隻も持つ資産家で、ヨーロッパとの貿易も盛んに行っていました。
南北戦争の際には北軍の海上封鎖の網をすり抜けて、武器を積んだ船を入稿させたことで海賊と呼ばれていました。
スカーレットは南部の女性には珍しく、意思の強いタイプで、南北戦争の後の復興期には二番目の夫の店を繁盛させるなど、商売上手の手腕を発揮します。
現在であれば、これらの才能は、大きく評価されますが、19世紀のアメリカ南部では、二人とも、常に村八分の対象でした。
3 南部の生き方と、スカーレットが村八分にされた理由
南部の上流階級の生き方は、男女の役割をしっかりと分けていました。女性は、頭が悪く物をあまり食べないふりをし、結婚してからは内助の功として、夫を立て、男性は一家の主として、女性や奴隷の上に立ち、勇猛果敢で南部を愛する誠実で誇り高い人であれとされていました。
こうした南部の郷土愛や誇りは、南北戦争においても、兵士の士気を大いに上げ、圧倒的不利な局面でも、しばしば勝利を引き起こしました。
また、戦争に負けても、南部人らしく誇りを持って生きることこそ、本当の勝利なのだと信じて、多くの南部人は生き方を変えませんでした。
そのため、裕福な暮らしの為に、北部の人と手を組んで商売をするレッドバトラーやスカーレットは、南部人からは徹底的に嫌われていたのです。
4 レッドバトラーの自由な生き方
南部に生きる人に強いられる精神的な束縛は強く、才能豊かで自由への意思が強かったレッドバトラーは、こうした風習に反した生き方をしていました。
そのため、若い頃から南部で嫌われており、山師、海賊と批判されていました。一方でレッドは、風習に縛られ続ける南部人を「盲目だ」「馬鹿だ」と批判し、軽蔑してきたのです。
そんな中で、南部の貴婦人であるはずのスカーレットが、アシュレイに振られた腹いせに、花瓶を思い切り壁に投げつけるのを見て、スカーレットの心に、自分と同じ自由への意志があると気が付き、愛するようになりました。
そして、表向きは南部の貴婦人であろうとするスカーレットを、自分と同じように自由に生きるようにと、あの手この手で誘導し続けたのです。
そして、スカーレットの方も、レッドバトラーと一緒にいる時だけ、窮屈な精神的支配から抜け出して、自由に思うように生きられる開放感を感じるのでした。
5 スカーレットの親友メラニーの存在の意味
そして、スカーレットの最初の夫の妹で、スカーレットが恋をするアシュレーの妻であるメラニーが、物語を底辺から支えます。
気が弱く、おとなしいメラニーを、スカーレットは地味で冴えない女と軽蔑し続けますが、勝ち気で自信家のスカーレットのことを、メラニンは憧れ、愛し続けます。
この二人の気持ちのすれ違いは、読んでいて本当にジレンマでした。控えめにおとなしく、けれども、絶対的な意思を持って、スカーレットを支え続けたメラニーは、南部の貴婦人そのものの、誇り高い生き方をしていました。
メラニーの死と共に、スカーレットは、南部の誇り高き文化が消滅していってしまうことを実感し、自分が馬鹿にして、疎かにしてきたものに、どれほど守られてきたのか、自分が失われつつあるその文化を、どれほど愛してきたのかを、やっと思い知ります。メラニーの死は、南部アメリカの死そのもののように、読み手にも大きな喪失感を与えます。
6 風と共に去りぬのタイトルの意味
「風と共に去りぬ」というタイトルは、主人公スカーレットの口癖です。戦争や、愛する者たちの死や、飢餓や貧困や陵辱など、戦争の敗戦国に襲いかかる多くの不幸を受けるたびに、スカーレットは嫌なことはすべて「風と共に去る」そして「明日は明日の風が吹く」と、明日に希望をかけます。
スカーレットは、美人にありがちな、高慢ちきな性格な上に、安楽的で愚かなところも目立ちます。
けど、どんな苦悩が襲いかかってきても「明日は明日の風が吹く」と、何度でも立ち上がる強さには惹かれずにはいられないのです。
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「風と共に去りぬ」が多くの批判を受けるのは、あらすじを見ていただければ、よく分かると思います。
「黒人」「黒ん坊」という差別的な表現は、作中に何度も出てくるし、前後の解放黒人に対抗する「クラン団」という組織を、正当化するような傾向があるからです。
「風と共に去りぬ」に出てくる「クラン団」は、現代のアメリカでは「クー・クラックス・クラン団」通称「KKK」と呼ばれる秘密結社のことであり、1867年に生まれました。
今でこそ、白人至上主義を掲げて暗躍する恐怖団体のように言われているため、その前身である「グラン団」を正当化して書いたことが批判を呼んでいるのです。
また、作中に登場する黒人奴隷を、当然のように所有して管理する様子は、当時の南部アメリカの様子を生々しく伝えてきます。
「アンクルトムの小屋」のように、わかりやすい奴隷の悲劇があるわけではなく「風と共に去りぬ」の中では、常に黒人に対して愛情深く、敬意を持って接し続けています。
黒人は、南部の上流階級の社会に完全に溶け込んで、その家の内情を把握して、母親に代わり、子供達を躾けて育てる、第二の母として描かれています。
特に、スカーレットの乳母である、マミーの存在感は大きく、母亡き後にスカーレットの保護者として寄り添い続ける様子が描かれ、そこには確かに母の愛を感じます。
しかし、南北戦争に負けて、奴隷が解放されたら、南部の上流貴族が、次々と落ちぶれていくことからも、やはり、奴隷ありきで成り立っていた南部アメリカの古き文化には疑問を持たざるを得ません。
こうした理由から「風と共に去りぬ」は、よく批判を受けますが、あくまでもフィクションの小説であり、奴隷制度や、クラン団を支持する人は落ちません。
「風と共に去りぬ」は、ヴィヴィアン・リー主演の映画も有名ですが、原作を見ずに映画を見ることはお勧めできません。
映画では、主人公の二人や、メラニーやアシュレーは原作から抜け出してきたかのような存在感ですが、物語の解釈が原作よりもずっと甘くて、南部の文化や戦争の悲劇を全く感じられません。
もしも、簡単に「風と共に去りぬ」を知りたいという方は、映画ではなく、日本の「津雲むつみ」さんの漫画をオススメします。
映画よりも、ずっと原作の解釈を、そのまま受け継いでいるので、古本屋で漫画版を探してみてください。時間が許されるなら、是非原作にもチャレンジしてみてくださいね。
ちなみに「風と共に去りぬ」のマーガレット・ミッチェルは、南北戦争の後に生まれて、戦争を経験はしていません。しかし、親戚から語り継がれる、南部人から見た南北戦争はしっかりと「風と共に去りぬ」の中に反映しています。
子供の頃から文才に長けており、成人してからは、出版社に勤めていましたが、マーガレットミッチェル自身は、自分の才能に不安を抱えており「風と共に去りぬ」の出版も、周囲の後押しがあってのものだと言われています。
また、死後に作品を見られることを恐れて、未発表作品は全て破棄されました。「風と共に去りぬ」のファンとしては、何とももったいない話ですが、この行為からも、ミッチェルの誇り高さを感じますね。
凄まじい才能を持ちながらも、生涯で発表されたのは「風と共に去りぬ」だけというマーガレット・ミッチェルでしたが、死後47年たってから、昔の恋人に送った「ロスト・レイセン」という、短編小説が発見され出版されました。
「ロスト・レイセン」は、男女の三角関係を描いた短編小説で、主人公は、アイルランド移民の背の低い男性で「風と共に去りぬ」のスカーレットの父親によく似た人物です。
また「ロスト・レイセン」に登場する女性は、スカーレットやマーガレット・ミッチェル自身によく似ており、その恋人は「風と共に去りぬ」のアシュレイ・ウィルクスに似ています。
マーガレット・ミッチェルが、15歳で書いたというこの作品を見ると、ますます彼女の文才がよくわかります。
日本語訳も出版されているので「風と共に去りぬ」が好きな方は是非読んでみてください。
いつの時代も、変わらず女性の生き方は精神的窮屈さを強いられますが、だからこそ「風と共に去りぬ」は、現代でも色あせずに愛され続けるのでしょう。
南部アメリカの上流貴族の長女として生まれた、スカーレット・オハラが主人公で、17歳で出会った、レッドバトラーとの恋愛の様子が描かれています。
けれど、決して恋愛小説の枠に収まらず、戦争によって、一つの文化が急速に滅んでいく様子と、その悲劇が綿密に描かれています。
南北戦争は、50万人近くの戦死者を出し、アメリカ建国以来、最大の危機と言われた戦争です。
圧倒的な軍事力や、兵士の数の差だったにも関わらず、リンカーンの北軍は序盤から苦戦続きでした。
南部をアメリカ合衆国に組み込むという、曖昧な北軍の目標に比べ、迫り来る北部から、南部の文化を守るという、南郡の郷土愛はとても強く、戦争の指揮もとても高かったからです。
工業化が進む北部に比べて、綿花のプランテーションを産業の中心にしていた南部は、ヨーロッパとの自由貿易を勝ち取り、アメリカ合衆国から独立して建国したいという理想を掲げていました。
1860年に大統領に就任したリンカーンは、南北戦争当時は「奴隷解放」を謳っておらず、1862年に、初めて奴隷解放宣言を出し、大義名分とし始めました。
そのおかげで、南方はイギリスやフランスからの支援を受けられなくなって行き、戦局は北部に有利となっていたのです。
「風と共に去りぬ」を読んでいると、こうした戦争の綿密な情報が、しっかりと頭に入って来て、歴史的に勝者で、正義であると信じていたものの「裏側」を知ることができます。
では、1巻から5巻までの「風と共に去りぬ」のあらすじを簡単に紹介しますが、アフリカ系アメリカ人のことを「黒人」と、原作の通りに表現することを予めご了承ください。
1巻から5巻までの「風と共に去りぬ」のあらすじ
一巻ジョージア一の美女と謳われるスカーレット・オハラは、南部の上流階級、オハラ家の長女でした。
ダンスパーティーで、片思いのアシュレーに告白するも振られます。その一部始終を見ていたレッドバトラーは、その時から、正直なスカーレットを愛するようになりました。
アシュレーは、メラニーという女性と結婚してしまい、やけになったスカーレットは好きでもない人と結婚します。
その後、南北戦争が始まり、スカーレットはあっという間に未亡人になります。愛していなかった夫の死には動じないスカーレットですが、戦争によってダンスや贅沢ができなくなったことを何よりも嘆きます。
そんなスカーレットを、南部の風習に逆らってダンスパーティーに引っ張り出し、喜ばせようとするレッドバトラーでした。
二巻
スカーレットの住む南部の軍隊は、北軍に負け始めます。アトランタにも大勢の北部んが攻めてきて、スカーレットはレットバトラーの助けで、なんとか実家のタラに帰ります。
死に物狂いでタラに帰ったスカーレットを待っていたのは、母の死の知らせと、気が狂った父親でした。
メラニーと赤ん坊と、スカーレットの子供と、二人の妹たち、四人の黒人と、気の狂った父の世話は、長女であるスカーレットの肩にかかってきました。
三巻
南部は南北戦争に負け、敗戦後に帰ってきたアシュレイたちとともに、実家のタラを立て直そうとします。
しかし、敗戦国として、財産は根こそぎ取られ、貧困と略奪、暴行と飢饉が襲いかかり、かつて「南部の華」ともてはやされたスカーレット・オハラは、見る影もなく、農作業に疲れ果てていました。
税金を払えず、実家のタラを取り上げられそうになり、スカーレットは仕方なく誇りを捨てて、情婦になることを決意します。
四巻
しかし、頼みのレッドバトラーは、北軍の捕虜になっており、お金の工面をしなければならないスカーレットは、フランクという男性と望まぬ結婚をしました。
2番目の夫のフランクの商売を手伝い始めたスカーレットは、みるみるうちに商売の才能を発揮しますが、南部の女性にあるまじき、でしゃばった行為として、街の人から爪弾きにされ始めます。
街中では、解放された黒人たちが、南部の女性を陵辱する事件が相次いでいましたが、止めに入った南部の男性は処刑され、解放黒人は罪に問われないという理不尽な処罰がされていました。
そこで、南部の紳士たちは、クラン団を結成し、婦人に暴行をした黒人を闇討ちにし始めたのです。しかし、ある時、黒人に襲われたスカーレットの報復に出かけた夫のフランクは、返り討ちにあい、死んでしまいます。(北部警察からの返り討ちです)
五巻
かねてから、スカーレットに想いを寄せていたレッドバトラーは、スカーレットに求婚し、二人は結婚します。
しかし、少女の頃からアシュレーに恋をしていたスカーレットの気持ちは変わらず。レッドとの夫婦仲は冷めて行きます。
山師であるレッドと結婚したことで、南部でのスカーレットの評判は地に落ち、たった一人の親友だったメラニーも、体を壊してこの世を去ります。
南部の貴婦人そのものであったメラニーの死によって、古き良き南部の文化の消滅を感じたスカーレットは、絶望の末、本当に自分 を愛し支え続けてくれたのは、アシュレーではなく、レッドバトラーであったと気がつきます。
しかし、レッドの愛は冷め、スカーレットの元を去ってしまいました。
「風と共に去りぬ」の見所ポイント
1 男女の三角関係の物語「風と共に去りぬ」を通して、スカーレットはアシュレーを思い続けました。同時に、アシュレイを思い続けるスカーレットを、横からずっと思い続けていたのは、レッドバトラーです。
最初から最後まで、この三角関係がずっと付きまといますが、恋愛色が薄く、歴史的読み物として知られているのは、南北戦争という大きな時代背景に彩られているからでしょう。
2 スカーレットとレットバトラーの商売の才能
また大きな見所の一つとして、スカーレットとレットバトラーの商売の才能が挙げられます。
レッドバトラーは、船を何隻も持つ資産家で、ヨーロッパとの貿易も盛んに行っていました。
南北戦争の際には北軍の海上封鎖の網をすり抜けて、武器を積んだ船を入稿させたことで海賊と呼ばれていました。
スカーレットは南部の女性には珍しく、意思の強いタイプで、南北戦争の後の復興期には二番目の夫の店を繁盛させるなど、商売上手の手腕を発揮します。
現在であれば、これらの才能は、大きく評価されますが、19世紀のアメリカ南部では、二人とも、常に村八分の対象でした。
3 南部の生き方と、スカーレットが村八分にされた理由
南部の上流階級の生き方は、男女の役割をしっかりと分けていました。女性は、頭が悪く物をあまり食べないふりをし、結婚してからは内助の功として、夫を立て、男性は一家の主として、女性や奴隷の上に立ち、勇猛果敢で南部を愛する誠実で誇り高い人であれとされていました。
こうした南部の郷土愛や誇りは、南北戦争においても、兵士の士気を大いに上げ、圧倒的不利な局面でも、しばしば勝利を引き起こしました。
また、戦争に負けても、南部人らしく誇りを持って生きることこそ、本当の勝利なのだと信じて、多くの南部人は生き方を変えませんでした。
そのため、裕福な暮らしの為に、北部の人と手を組んで商売をするレッドバトラーやスカーレットは、南部人からは徹底的に嫌われていたのです。
4 レッドバトラーの自由な生き方
南部に生きる人に強いられる精神的な束縛は強く、才能豊かで自由への意思が強かったレッドバトラーは、こうした風習に反した生き方をしていました。
そのため、若い頃から南部で嫌われており、山師、海賊と批判されていました。一方でレッドは、風習に縛られ続ける南部人を「盲目だ」「馬鹿だ」と批判し、軽蔑してきたのです。
そんな中で、南部の貴婦人であるはずのスカーレットが、アシュレイに振られた腹いせに、花瓶を思い切り壁に投げつけるのを見て、スカーレットの心に、自分と同じ自由への意志があると気が付き、愛するようになりました。
そして、表向きは南部の貴婦人であろうとするスカーレットを、自分と同じように自由に生きるようにと、あの手この手で誘導し続けたのです。
そして、スカーレットの方も、レッドバトラーと一緒にいる時だけ、窮屈な精神的支配から抜け出して、自由に思うように生きられる開放感を感じるのでした。
5 スカーレットの親友メラニーの存在の意味
そして、スカーレットの最初の夫の妹で、スカーレットが恋をするアシュレーの妻であるメラニーが、物語を底辺から支えます。
気が弱く、おとなしいメラニーを、スカーレットは地味で冴えない女と軽蔑し続けますが、勝ち気で自信家のスカーレットのことを、メラニンは憧れ、愛し続けます。
この二人の気持ちのすれ違いは、読んでいて本当にジレンマでした。控えめにおとなしく、けれども、絶対的な意思を持って、スカーレットを支え続けたメラニーは、南部の貴婦人そのものの、誇り高い生き方をしていました。
メラニーの死と共に、スカーレットは、南部の誇り高き文化が消滅していってしまうことを実感し、自分が馬鹿にして、疎かにしてきたものに、どれほど守られてきたのか、自分が失われつつあるその文化を、どれほど愛してきたのかを、やっと思い知ります。メラニーの死は、南部アメリカの死そのもののように、読み手にも大きな喪失感を与えます。
6 風と共に去りぬのタイトルの意味
「風と共に去りぬ」というタイトルは、主人公スカーレットの口癖です。戦争や、愛する者たちの死や、飢餓や貧困や陵辱など、戦争の敗戦国に襲いかかる多くの不幸を受けるたびに、スカーレットは嫌なことはすべて「風と共に去る」そして「明日は明日の風が吹く」と、明日に希望をかけます。
スカーレットは、美人にありがちな、高慢ちきな性格な上に、安楽的で愚かなところも目立ちます。
けど、どんな苦悩が襲いかかってきても「明日は明日の風が吹く」と、何度でも立ち上がる強さには惹かれずにはいられないのです。
—————————————-
「風と共に去りぬ」が多くの批判を受けるのは、あらすじを見ていただければ、よく分かると思います。
「黒人」「黒ん坊」という差別的な表現は、作中に何度も出てくるし、前後の解放黒人に対抗する「クラン団」という組織を、正当化するような傾向があるからです。
「風と共に去りぬ」に出てくる「クラン団」は、現代のアメリカでは「クー・クラックス・クラン団」通称「KKK」と呼ばれる秘密結社のことであり、1867年に生まれました。
今でこそ、白人至上主義を掲げて暗躍する恐怖団体のように言われているため、その前身である「グラン団」を正当化して書いたことが批判を呼んでいるのです。
また、作中に登場する黒人奴隷を、当然のように所有して管理する様子は、当時の南部アメリカの様子を生々しく伝えてきます。
「アンクルトムの小屋」のように、わかりやすい奴隷の悲劇があるわけではなく「風と共に去りぬ」の中では、常に黒人に対して愛情深く、敬意を持って接し続けています。
黒人は、南部の上流階級の社会に完全に溶け込んで、その家の内情を把握して、母親に代わり、子供達を躾けて育てる、第二の母として描かれています。
特に、スカーレットの乳母である、マミーの存在感は大きく、母亡き後にスカーレットの保護者として寄り添い続ける様子が描かれ、そこには確かに母の愛を感じます。
しかし、南北戦争に負けて、奴隷が解放されたら、南部の上流貴族が、次々と落ちぶれていくことからも、やはり、奴隷ありきで成り立っていた南部アメリカの古き文化には疑問を持たざるを得ません。
こうした理由から「風と共に去りぬ」は、よく批判を受けますが、あくまでもフィクションの小説であり、奴隷制度や、クラン団を支持する人は落ちません。
「風と共に去りぬ」は、ヴィヴィアン・リー主演の映画も有名ですが、原作を見ずに映画を見ることはお勧めできません。
映画では、主人公の二人や、メラニーやアシュレーは原作から抜け出してきたかのような存在感ですが、物語の解釈が原作よりもずっと甘くて、南部の文化や戦争の悲劇を全く感じられません。
もしも、簡単に「風と共に去りぬ」を知りたいという方は、映画ではなく、日本の「津雲むつみ」さんの漫画をオススメします。
映画よりも、ずっと原作の解釈を、そのまま受け継いでいるので、古本屋で漫画版を探してみてください。時間が許されるなら、是非原作にもチャレンジしてみてくださいね。
ちなみに「風と共に去りぬ」のマーガレット・ミッチェルは、南北戦争の後に生まれて、戦争を経験はしていません。しかし、親戚から語り継がれる、南部人から見た南北戦争はしっかりと「風と共に去りぬ」の中に反映しています。
子供の頃から文才に長けており、成人してからは、出版社に勤めていましたが、マーガレットミッチェル自身は、自分の才能に不安を抱えており「風と共に去りぬ」の出版も、周囲の後押しがあってのものだと言われています。
また、死後に作品を見られることを恐れて、未発表作品は全て破棄されました。「風と共に去りぬ」のファンとしては、何とももったいない話ですが、この行為からも、ミッチェルの誇り高さを感じますね。
凄まじい才能を持ちながらも、生涯で発表されたのは「風と共に去りぬ」だけというマーガレット・ミッチェルでしたが、死後47年たってから、昔の恋人に送った「ロスト・レイセン」という、短編小説が発見され出版されました。
「ロスト・レイセン」は、男女の三角関係を描いた短編小説で、主人公は、アイルランド移民の背の低い男性で「風と共に去りぬ」のスカーレットの父親によく似た人物です。
また「ロスト・レイセン」に登場する女性は、スカーレットやマーガレット・ミッチェル自身によく似ており、その恋人は「風と共に去りぬ」のアシュレイ・ウィルクスに似ています。
マーガレット・ミッチェルが、15歳で書いたというこの作品を見ると、ますます彼女の文才がよくわかります。
日本語訳も出版されているので「風と共に去りぬ」が好きな方は是非読んでみてください。
いつの時代も、変わらず女性の生き方は精神的窮屈さを強いられますが、だからこそ「風と共に去りぬ」は、現代でも色あせずに愛され続けるのでしょう。
「風と共に去りぬ」の読書感想文
「風と共に去りぬ」を読んで風と共に去ったのは何だろう。読み終わってまず考えたことだ。アシュレへのスカーレツトの愛か?スカーレツトヘのアシュレやレツトの愛か?それともメラニーの死を意味するのか?いろいろ考えたがどれもピンとこない。私はもう一度読み返してみて、やっとヒントになる言葉を探すことができた。
「彼らの閑暇に恵まれた悠長な世界はひっくり返ってしまった。……彼らを吹きまくる強大な力に対しては何の役にもたたなかった。」それでようやくわかった。「風」というのは南部に大悲劇をもたらしたあの戦争をさし、その強大な風と共に去ったのは南部人の好む悠長で貴族的な世界だということが。
今まで私は南北戦争については、奴隷解放問題でアメリカの南北の争い、結局北部が勝ったということしか知らなかったのだが、戦争り原因はそれだけでなく、生活様式の全く異なった南北の経済的利害も、大きな原因の一つだったということを知った。
また奴隷問題にしても建国以来の人道主義的伝統から北部は奴隷使役に反対したが、それが南部人以上に黒人を理解し愛した証拠かといえば決してそんなことはなかったのだ。今でも黒人問題は根強く残っている。
「理解し愛す」ことのまだできていないということ、何かとても恥ずかしい。戦争をするのは、レットはお金のためというし、スカーレットは土のためというし、若者達は、南部そのものを守るためだという、それが私達の場合、何に置き換えるかは様々だが、一部の人を除いて戦争は決してなれいでも神堅でもないということ。
どんな目的も口火を切った瞬間に失われてしまうということを忘れてはならない。私達はとかく戦争をロマンチックに考え易いが、そう考えることがどんなに危険かを悟らねばならないと思う。そしてまた戦争によっておこる最も苦しいものは再建時代だということも。スカーレットの生きたのはまさしくその再建時代だったのである。
当時の文明社会は自然のままの人間をとても低く評価した。そして自分達の不文律のどんな小さなことでも破るものは容赦しなかった。しかし彼女はそれらのことをやってのけた。人々は彼女を僧んだ。彼女の他の美点にはかたくなに目をつむり、ただ結果だけを見つめて。
「彼女には人生を無視することができなかった。仮に彼女が荒々しい人生を微笑でごまかして行こうとしても人生の方で彼女を容赦しなかった。」――この一節が胸をうつ。神様はたぜ彼女にこんなに悪意をもつのだろう。神様が彼女にしたことは、体の頑丈な者を飢えたライオンのおりに投げこむのと同じだ。
攻撃をうけても防ぐことができず、といって頑丈な体は一度や二度うたれたぐらいでは死なない。血まみれになり苦しみ苦しみ、それでも体のつづく限り生きていかねばならない――。私には彼女を僧むことができない。勇敢で正直で運命に従順でしかしよりよく運命を開拓する彼女が私が好きだ。
けれども人々は彼女が子供と同じに自分に正直であるということ、いかに彼女が愛する者に対しては優しく美くしかったかということを一切理解せず、彼女を容赦しなかった――。それでも彼女はへこたれない。メラニーの死を迎え、真実の愛を知ったときにはすでに遅く、再び悲しみのどん底へつき落とされるがしかし、やっぱり屈しない。彼女は自分を生んだ暖かい手の中に、またもどっていくのである。
私はふっと考えた。彼女がもし、もっと弱くて過去を思い出しては泣いて。男に頼って生きるような女だったらどうなったろうと。そのほうが幸せになれたのではないだろうかと。でもその考えはすぐすてた。
確かにそうすれば人から憎まれないで平穏に口がすぎていりたろう。しかし彼女に注がれた三つの素晴らしい愛は――たとえ冷めたとはいえ――尊敬以上にはならなかったということ。そしてその愛がなければ他に何があろうと彼女は幸せにはなれなかったということ。それにもう一つ、そんな女だったら、私は決して彼女にはひきつけられなかったということに気付いたからだ。
愛といえば、あの素晴らしい恋愛の結末を読んで、一体あれの役割は何だったろうと考えてみた。三つあると思う。一つ、スカーレツトの強さを導く。二つ、典型的な四人の生き方を浮き彫りにする。三つ、スカーレツトの美しい女らしい一面を出す。
何にせよ、私は様々な人の生き方を学ぴとることができた。そしていかに平和が大切かということも。