今回は、世界的名著、ビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」の読書感想文の例文紹介です。邦題「ああ無情」というタイトルでも販売されています。

この作品は、完訳の大人向けの本のほか、小学生むけの簡略版まで、さまざまな出版社から販売されています。人間の良心や葛藤をテーマにしているため、感想文の対象としては、小学校高学年生から、中学生高校生社会人まで幅広く活用いただけます。

「レ・ミゼラブル」のあらすじ動画

YouTube動画の中から優秀な動画2つをご紹介いたします。10分程度で簡単にあらすじが分かります。
(複数のあらすじを聞くことで捉え方の幅が広がります)


「レ・ミゼラブル」読書感想文の例文

以下の例文を参考に、800字・1200字・2000字、原稿用紙3枚・4枚・5枚など、指定された文字数にアレンジしてください。

読書感想文①

「レ・ミゼラブル」を読んで
(小学生むけ)

この本を読んで、一番印象に残った部分は、ジャンバルジャンが、銀の食器を盗み、憲兵隊に捕らえられて、司教の前に突き出された時、「その食器はあなたにあげたのです。銀の食器もあげるといったではありませんか。なぜ持って帰らなかったのですか」と、司教がいった場面です。

私はこの部分を読んで、人間を罪人にするまえに、もとのよい人間にしようという、司教の温かい心に深く感心させられました。そして学校生活や、日常の生活についても、いろいろ考えさせられました。

学校で反省の時間になると、「だれさんは何々しました」。「だれさんはこうでした」と、友だちの欠点を大声であげ、時には前にした失敗なども、言ったり言われたりします。言われた人は、「これからは、そんなことはしないようにしよう」と決心していても、他人から指摘されると、またやけになり二度三度、悪いことをしてしまうことがあるようです。

人間には誰にでも良心があります。悪いことをしたあとは、きっと良心に苦しめられて、固い心になります。私は、あの司教のように、罪を犯した人に対しても、白い目でみないで、親切にしてやったり、励ましてやったりすることが大切だと思いました。

「そんなことするやつがあるか、二度としたら承知しないぞ」と、先生に叱られた時の気持ちと、「そんなことをしたの間違いだね。これから気をつけようね」といわれた時の気持とを比べてみると、あとの言葉のように優しく言われた時の気持のほうが、「先生に申し訳なかった。よし今度は挽回するぞ、善いことをたくさんするぞ、勉強も清掃も行いも誰にも負けないように、しっかりやるぞ」と、いう強い気持がたくさん出るような気がします。

学校でも、司教のような気持の人が多ければ多いほど、明るくて楽しい学校生活ができるわけです。学校ばかりでなく世の中もそうだと思います。私は今この本を読んで本当によかったと思っています。

この本を読んだおかげで、これからは反省することを楽しみの一つと思えるような生活をしたいと思えるようになりました。そして、友達とも良い点の伝えあいをして、お互いが嬉しい気持ちで成長していけたら、どんなに嬉しいことだろうとも思いました。

読書感想文②

「レ・ミゼラブル」を読んで
(中学生向け)

山中で生活していくためには、数多くの困難を乗り越えていかねばなりませんが、ジャンバルジャンは、本当に苦しい道をみごとに乗りこえて進んでいった立派な人です。また正直な人でした。自分と間違われて裁判にかけられた男を助けるために市長という地位を捨てて名のり出ます。

こんなことは、普通の人には、なかなかできないことです。せっかく苦労して、きずき上げた地位や財産を、いっぺんに捨ててしまうということは本当に惜しいことです。

もし彼が、黙っていたならば、彼はそのまま市長を続けることができたのです。でもそんな卑怯なやり方は彼の良心が許しませんでした。彼は常に正しい道をえらんで歩いてゆきました。私達も、大いに見習わなければなりません。この物語には、ジャペール警視という、こわい人が出てきます。

彼は鬼のような男です。蛇のように鋭い目をもっています。そうして、始終ジャンバルジャンをつけ狙いました。でも、最期には、ジャンバルジャンのなさけ深い態度に心を撃たれて、今までの自分のやり方を恥じて自殺します。

考えてみれば、彼も可愛そうな男です。結局、彼は仕事の鬼だったのです。もし彼が他の仕事をやっていたならば、こんな哀れな、最期を遂げずにすんだかもしれません。それにしても、常に自分をつけ狙っていた男を許した、ジャンバルジャンの心の広さには、深く心を打たれました。

話の初めの方ですが、ミリェル司教という人が出てきます。彼はろうごくから出てきたばかりのジャンバルジャンを温かく取りなしてやります。前科者といえば、世の中の人々は、とかく、つめたい目で見、そしてバカにしがちです。これは今の時代でも同じことです。もちろん、こんな考えは間違っています。むしろ温かく迎えるのが本当ではないでしょうか。

丁度その見本のような人が、ミリエル司教でした。ジャンバルジャンが偉大な愛の精神をもった男になったのも、このミリェル司教の教えを守ったからでした。また、金のためには、どんなことでもするテナルディという男が出てきますが、彼はほんとうにずるい男です。

それに彼には、男らしさというところが少しもありません。こんな男にはなりたくないものです。でも、考えてみれば、今の現実の世の中には、金のことしか考えないタイプの人が、案外多いようです。これは非常に残念なことです。

本の終りで、ジャンバルジャンが、はじめて無実の罪であったということが分かりますが、ここを読んで本当によかったと思いました。これも彼がどんな苦しい時も我慢し、大きな深い愛の心を失わなかったからです。私もジャンバルジャンのように、どんな困難にも負けないような、意志の強い人になりたいと思います。

読書感想文③

「レ・ミゼラブル」を読んで
(高校生向け)
 
「レ・ミゼラブル」というタイトルは、フランス語で「みじめな人々」という意味だそうだ。その通り、この小説には悲惨な人々が、あまりにも多く登場する。主人公のジャンは、たった一片のパンを盗んだために、十九年間の牢獄生活を送り、その後、まったく善人になりながらも、一生牢獄につながれていたという汚名を着せられた。びくびくしながら、生き続けなければならなかった。

我が子を守るために、その身をも、売りわたさねばならなかったあわれな婦人。貧困のため、幼いたましいまで、むしばまれてゆく少年少女。そして、ジャンをしつこく追いかけまわしたシャベル警部。
幼い胸を、痛めつづけてきたユゼット。だれひとり、恵まれた環境の中で、ぬくぬくと、安定した生活を送っているものはいない。

しかし、どの人たちも力いっぱい生きぬいている。「社会という、大きなうずを巻いた舞台の上で、それぞれ、光を見ようと力いっぱい、社会に向き合っていると思う。その姿に、私は大変感動させられた。

私は、ふとその時「それじゃあ自分はどうなんだ。」という不安が胸をかすめた。たとえば、学習の面では、自分で一生懸命やろうと思っているにもかかわらずふと気づいてみると、今まで何のために、なにをしていたのかわからなくなることがある。すると、とてもやるせない気がして、自分をどこにおいたらいいのかと、切なくなり、とても不安な気がする。そんな時の自分は、今にも押し流されそうな小石のように、もろく、くずれやすい心になっている。

それに気づいても、どうすることもできない自分が、情けなく、いらだたしささえ感じる。しかし、「どうすることもできない。」といっていては人間は、退歩するばかりで、しだいに堕落してゆくだろう。だから、この物語にもあるように、結果は、どう出ようと、せいいっぱいやることが、人間の、価値であり、それが、自分をささえる、綱でもあるのだと思う。

また、悪人をえがきあげても、悪人のままではおかないユーゴーの、美しい人間愛,の精神にふれる時、私は、深い感動を覚えるとともに、ユーゴーの博愛の精神にめざめることができる。

十九年間の牢獄生活で、心を固くとざしてしまっていたジャンは、ミリエル司教の愛にめざめた時、世の中を支配するのは、力でもなにものでもないとさとった。しかし、私は、改心して人間らしく生きぬこうとしたジャンを、正当に受け入れようとしなかった社会、無情と不合理の社会を見てしまった。

そういう社会の中で、だれもが、幸せをつかもうと、せいいっばい生きているのに、平凡な幸せをつかんだのは、マリウスと、コゼットだけであった。この幸せな、ふたりのために、あまりにも多かった犠牲者、しかし、ぎせい者というあわれな人たちがいなければ、幸福はっかめないのか、どうしたらつかめるだろう。

真の幸福とは何か。そんな、不安めいた疑問が頭に、こびりついてはなれなかった。-暗黒の社会を照らす光は、「教育」であるといったユーゴーは、悲惨なたましいを天に導くものは、「愛」であるといっている。生きて行くのに、疲れはててしまったジャンは、ついに死の床についた。ジャン・バルジャンは、いとしい、マリウスとユゼットを呼んでこういったのである。

「わたしはもういってしまうのです。でもおまえ達は、いつまでも愛しあうがよい、世の中には、愛する事よりほかに、なにもないのだよ。」

この一言こそ、ミリエル司教の暖かい愛にめざめた、また長い苦しい生涯の中から得たたった一つの、しかも尊い告白である。彼は言い続ける。

「私は、自分で自分がよくわからない、けれど、おお!!光が見える。私はたのしく死ねる。」・・と。

愛しながら死ぬものの幸福さ、愛されながら死ぬものの美しさ。ジャンは、みょうな運命につきまとわれた生涯のうち、これほどまでに幸福な時は、なかったのだと思った。

この小説を読み終わった今、私は深い感動に震えながら「力いっぱい生きること」「人を愛すること」この二つのことを、生きていく中で苦しくなったとき、いつも想い出すことになると感じた。